パリオリンピックを見ていて思うのは


正義とは何か··


ということ。。



今の時代は

ビデオ判定などで正しい判定が出来たり

誤審でもあろうものなら

SNSで叩かれまくったり。


正しいことこそ正義であるといった

そういう風潮であるが。。



個人的には

それが必ずしも幸せに繋がるわけではないと

そう思う。。




もちろん

間違ったことを正すことは

正義なのかもしれないが



正しいことばかりを求める世の中は

生きにくいようにも思う。。





publicdomainq-0069012aztymh



学生時代

テレビでプロレスを見るのか好きだった。


ご存知の方も多いと思うが

プロレスは作られたストーリーがある。。


相手選手にロープに振られると

必ず相手選手の所に戻って来て

技を受けるのだ。


相手がコーナーに登れば

飛んでくるのを待ち受けて

これまた技を受ける。。


逃げることだって出来るはずなのに····だ。



コアなファンでなくても

そろそろこの技で終わりだな···と

ある程度の予想が出来てしまう。。



相撲界からプロレス界に飛び込んだある選手が

「八百長野郎!」

と叫んだことがあったが、、


そのとおり

プロレスはある意味

八百長なのだ。。



そこにはもちろん

ビデオ判定などはなく 

一度くだされた判定に

あーだこーだと

SNSで叩く人もいない。。



終わったあとには

新たなストーリーが出来上がり


そこに残るのは

なぜか不思議な爽快感。。




少なくとも

今の時代よりは

幸せだったと感じる。。





先日

ある方に正義を振りかざされてね···

たしかに正しいことだし

ビデオ判定したら負けるんだろうけど···




それくらい良いじゃんって。。




ざっくりと言えば


それが私の

正義である。。